当寺院について
当寺院の歴史
三池藩家老の屋山大進は定林寺の祖門和尚に借金を返済せず、和尚の呪詛に悩まされ病に臥す。熊本の日蓮宗長国寺の日尭上人の祈祷により病癒えた大進は、三池町に妙屋山南正寺を創建する(1631年)。南正寺は三池藩の祈祷寺院として栄え、鬼子母神霊場として信仰を集める。
明治35年、矢澤茂吉氏と黒田茂作氏の寄付により当山十七世本泉院日誠上人の代に現在の地に移転し、
明治40年の改築によって本堂は壮麗を極めたが、惜しくも昭和20年の空襲で消失した。
現在のものは当山二十世良晴院日興上人代の復興によるものである。
南正寺は祖門和尚の物語が示すように、悪霊たたりの調伏祈祷寺として、また鬼子母神霊場として信仰を集めてきた。
境内案内

本堂
本堂には、日蓮聖人坐像、四菩薩四天王像、そして鬼子母神像が安置されています。 鬼子母神は子供の守護神として知られ、子育てや安産を願う人々が多く訪れます。 また、四菩薩四天王は仏教の守護神として、本堂を護る役割を果たしています。

矢澤茂吉の碑
矢澤茂吉は三池鉱山の炭鉱主長として20年以上勤め、その寄付により南正寺は現在の地に移転いたしました。三井財閥の8代目当主で三池鉱山の社長である三井三郎助(隆景)は矢澤を讃え、南正寺境内に矢澤茂吉の碑を建立しました。

境内地蔵
地蔵菩薩は、困難な状況にある人々を助ける慈悲深い存在として信仰されます。寺院の境内に安置されていることで、境内地蔵は寺院全体を守護する役割も担っております。